今日は僕が地方から東京に出てきた頃の話を書いてみようと思う。
今でこそ100社近い会社を経営しているけど、決して最初から順調だったわけじゃない。かなり遠回りもしてきたと思う。
この話はこれから何かを始めたいと思っている人や、今立ち止まっている人に向けたものでもある。
僕がなぜ今も若い挑戦者やサブミッシブ気質の女性の成長を見守るのが好きなのか、その理由にもつながっている。
20代前半で地方から上京した理由
僕が東京に出てきたのは20代前半の頃だ。
地方で暮らしていて特別に不満があったわけじゃない。でもこのまま同じ景色の中で年を重ねていく自分を想像した時に少しだけ息苦しさを感じた。
何の準備もなく上京し、居酒屋の皿洗いから僕の東京生活は始まった。
バイトをしながら就職活動をして、縁のあった会社に就職。
しばらくは営業職として東京中を走り回っていた。
そこは起業する人を応援する社風があったので、僕もお世話になった人々の力を借りて起業することになった。
きっかけは本当に小さな出来事だった。
先に起業していった人々の話を聞いて自分もやってみたいと思った。それだけ。
大きな覚悟や完璧な計画があったわけじゃない。
今振り返ると、あの頃の僕はかなり無謀だったと思う。
起業したものの最初の3年はまったくうまくいかず
会社員としての営業時代の成績は決して悪くなかった。むしろ会社には貢献できたいたように思う。
でも現実は甘くなかった。最初の3年くらいは正直ほとんど結果が出なかった。
一時的な仕事はあるけど続かない。
手元に残るお金はほとんどない。
家賃と生活費をどうやって捻出するかばかり考えていた。
周りが楽しそうに見える時期ほど、自分だけが取り残されている感覚になる。
元の会社の同僚たちは守られた生活の中で楽しそうに日々を過ごしている。起業を後悔した日がなかった訳ではない。
トライ&エラーを続けるしかなかった
あの頃はうまくいかない自分を責めることも多かった。それでも「やめる」という選択肢だけは選ばなかった。
今でこそ経営者としての能力は優れていると断言できる。
しかし当時の自分の感覚としては才能があるわけでも特別な後ろ盾があったわけでもないから、選択肢は一つしかなかった。
試して、失敗して、また試す。ひたすらその繰り返し。
今思うと成功のためにやっていたというより、立ち止まるのが怖かっただけかもしれない。
でもその積み重ねが少しずつ形になっていった。
一つうまくいかなくても別のやり方を探す。失敗した理由をちゃんと見て次に活かす。
この姿勢は今の経営にもそのままつながっている。
気づいたら組織が大きくなっていた
ある時期から少しずつ歯車が噛み合い始めた。
事業が安定して、仲間が増えて、気づいたらグループとして会社を運営する形になっていた。
最初から100社を目指していたわけじゃない。
ただ目の前の課題を一つずつ片付けてきただけだ。
今は多くの会社を束ねる立場になったけど、感覚としては今でもあの頃の延長線上にいる気がしている。
若手経営者を応援したくなる理由
今でも若手経営者や挑戦している人の話を聞くのが好きだ。相談に乗ることも多い。
それは過去の自分を見ているような気持ちになるからだと思う。うまくいかない時期の不安や焦りを、僕はよく知っている。
だからこそ、すぐに答えを出そうとはしない。
話を聞いて、整理して、一緒に考える。
結果が出るまで時間がかかることもあるけど、それでいいと思っている。
悩んだ時間が将来会社が大きくなった時にきっと役立つ。
サブミッシブ女性の成長を見守るのが好きな理由
僕はドミナントの性質があり、SM調教が趣味だ。
ただここで言う調教は何かを壊したり支配することだけじゃない。
相手の変化を見守ること。
少しずつ自信を持っていく姿を見ること。
最初は不安そうだった女性がだんだんと表情を変えていく。
言葉が増えて、姿勢が変わって、選択を自分でできるようになっていく。
その過程が、若い頃の自分と重なることがある。ドミナントである自分にとっては少し不思議でもある。
苦労した経験は、今も確実に活きている
うまくいかなかった時期がなかったら今の僕はいない。
あの頃の不安や失敗があるからこそ、人の成長に目が向くようになった。
東京に出てきたばかりの頃は正直しんどかった。
でもあの時間があったから、今は誰かの背中をそっと支えることができる。
まとめ 遠回りでも、無駄な時間はなかった
地方から上京して、何者でもなかった20代前半の僕。
結果が出ない数年間を経て今がある。
すぐにうまくいかなくてもいい。
遠回りでもいい。
変わろうとしている時間そのものがきっと後で意味を持つ。
僕はそう信じているし、これからも挑戦する人や成長しようとする人を応援し続けたいと思っている。